DE&I

(私のブログで、Youtubeへのリンクを埋め込みすることがよくあります。再生ボタンを押してみると、いきなり別ウィンドウやアプリが開くわけではなく、投稿ページのまま再生できるっぽいです。そう思うと心理的ハードルが下がる気がしない?)

この投稿は前回の投稿の続きです。

「White Hot : The Rise & Fall of Abercrombie & Fitch」というドキュメンタリー映画を観た。Abercrombie & Fitch (アバクロ) はアメリカのアパレルブランドで、2000年代前半に広く熱烈に支持を得たが、その排他的なブランド戦略と差別的な人材雇用の実情が明るみになり、ブランドは衰退していった。数年前には日本でも閉店する店舗が数多く見られた。

私は小さかったから、家にはいつの間にかアバクロの服があったような気がしている。それは、アバクロがまだ日本で買えなかった頃のことで、家族でハワイに旅行に行った時に母がたくさん買って持って帰ってきたものである。胸元や肩にかけてロゴが入っている白や紺色のTシャツ、フーディなどがいろいろあった。

小中高の私の服は家族のおさがりが多かった。人はいつも見ている物が欲しくなるものだし、一度に貰える量が多かったので、おさがりは大好きだった。なぜかというと、服そのものよりもコーディネートを考えることが好きで、おさがりで量が増えればよりコーデの可能性が広がるためである。家の服の最終地点はわたしのクローゼットだった。(いまは良いものを少しだけ持ちたい!と思っています)

だからアバクロの服も当然クローゼットに入っていた。ブランドのことはよく知らなかったけど、袖が長くて体によくフィットするデザインが多いな〜と思っていた。英語ディベート部に入っていると、帰国子女でアバクロやホリスターを着ているような友達が周りに多い(私服の高校だった)。ああ、アバクロってこういうブランドか〜とだんだんわかってきた。海外の香りがする子が着る服。わたしもおさがりを掘り起こしてよく着るようになった。

高校生のとき、銀座にできた店舗にも行った。ギラギラ暗い店内と、香水の匂いと、大きなBGMと、浮いているみたいな階段と、壁一面に描かれた男性の裸体の絵に萎縮した!!そして店員さんに英語で話しかけられ、とにかく緊張して、ギンザすげえ〜と思いながら試着してスキニーデニムを購入した。私にとってアバクロは、大人への第一歩だった。

映画によると、アバクロは「美しい筋肉と顔を持ち、クラスの人気者の白人男性」を憧れるべき存在・ブランドイメージとして掲げた。この排他性は雇用まで影響し、店頭に立てるのは外見が合格した人のみ、そうでない人は肌の色や人種を理由に実質解雇されるというような状況があったらしい。全然知らなかった。

アバクロが衰退した理由は、よくわかった。一方でVictoria’s Secret Fashion Showが中止になった理由は、まだよくわからない。悲しい思いが強い。でも、きっと両者も同じような理由で社会から無くさなければいけなくて、その社会というのは、私が道で歩いているだけで男集団に点数をつけられるような社会のことを言っているんだと思う。きっと根底ではルッキズムの形成という点で繋がっている。だったら、改善したほうがいい。

私にとってアバクロが英語ディベート部の香りのする大人のブランドであった、その思い出はずっと変わらないし、ブランドが衰退した今も否定しなくて良い。それと同じように、VSFSに憧れを持っていた私も否定しなくて良い。ショーが無くなって悲しいという思いと、「ルッキズムを後世に残してはいけない」という思いは、同時に存在していていいのである。

今日の絵日記は、学部生初めのときにアバクロを着ていた私です。露出度がすごい。全体的に、自分のなぐさめにするための文章でした。
今年のショーはどうなるかな〜!楽しみ!!


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