日曜日。曇りの日は、空が白く光って一層まぶしい。
夕方の予定まで2時間ほどある。時間をかけてパンケーキを焼こうかと思う。パンケーキを焼く1時間は、私のちょっとした儀式だ。キッチンに椅子を用意して、動画も見られる状態にして、1枚ずつ焼く。パンケーキには、絹豆腐を入れる。フライパンに油を敷いて、塩をまぶして、その上に生地を流し入れる。自分のことだけ考えていられる、キッチンに縛られた1時間。
儀式を行うにあたって、キッチンは磨かれた状態でなければならない。ごみをまとめて、アパートのごみ置き場まで歩いていく。
ごみ置き場は、アルミ製の倉庫になっていて、こちら側の一面はすべて引き戸になっている。以前ここを開けたときは引っ越してすぐのときで、まだアパートの住人も少なかった。そのときは、引っ越しのパンダのダンボールと、コンビニ弁当の茶色い袋ごみがきまり悪そうにちょこんと座っているだけだった。
今回は違った。引き戸を開けてすぐ目の前には、積みあがった燃えるごみの袋の山。明日が燃えるごみの日だからかと納得する。においはなく、ただ住民が増えたということを示していた。その右手、倉庫の奥のほうに、箱のままのダンボールや、しみのついた花柄のカーペットが無造作に積み上げられていた。
私は立ち尽くして、これからの生活を思った。ごみもまともに捨てられない人、収集の人の顔を思い浮かべられない人と、同じアパートで暮らしている自分のことを思った。ごみ収集の人に、「このアパートの人たちは民度が低いんだな」と思われたくないと思った。私は自分が思っているよりも他人に褒められることに依存しているのだなと思った。
夕方の予定まで、時間がある。日曜日に人と遊ぶ約束をしなかった自分の罰として、このダンボールを畳むことにした。家からビニルテープとハサミを取ってきて、厚底ブーツを履いてきた。倉庫の引き戸を全開にした。「折り畳みベッドフレーム」の商品名が書かれたダンボールやパンダのダンボールを取り出し、倉庫の前のアスファルトに、厚底ブーツで踏みつけながら、整えていった。背面の防犯カメラの存在も承知していた。
踏みつけているうちに、ダンボールの中に発砲スチロールを見つけたり、丁寧に住所シールが剝がされているのを見つけて、怒りが込み上げてきた。積みあがったダンボールの影を、西日が強く浮き立たせていた。
ごみ倉庫には秩序が取り戻された。私は満足しなかった。
家に戻り、手を入念に洗い、自由紙と細マッキーを引っ張り出して「お気持ちポスター」を作った。「ダンボールは畳んで出しましょう、めちゃめちゃ格好悪いです」。100均の丸シールを取り出して、迷ったうえで黄色のシールを選んで、外に出た。歩きながら、様々見えるアパートの扉の向こうで、「折り畳みベッドフレーム」で丸まっている誰かを想像した。
倉庫の引き戸をゆっくり閉め、まだアルミの新しい戸に、お気持ちポスターを抑え、風で飛ばされないように、紙の四隅と上下の中央に1つずつ、黄色の丸シールを貼り付けていった。美術館や図書館のようなきれいな建物にあるテプラやラミネートは、こうやって生まれていくんだろうなと思った。
翌日帰宅すると、紙は剥がされていた。黄色のシールが4つだけ点々と残っていたので、丁寧に剥がした。戸を開けてみると、積みあげたものはすべてなくなっていた。倉庫にはしみだけが残されていた。
可燃ごみ回収の日なのに、ダンボールも、ペットボトルの袋も、粗大ごみも回収したのだろうか?私のポスターは、ごみ回収の人が剥がしたのだろうか?それとも気持ちを害された住人だろうか?いずれにしても、いい気分とは言えなかった。いいことをしたという自覚はあるが、これが全くの成功体験であるとは思えなかった。
陽が沈む前の、刺さるようなピンクの空を背景に、コウモリが回っている。羽ばたく音は、少しも聞こえてこなかった。
