I smile when upset

私には直したい自分の癖がある。それは、動揺したときや、怒って然るべき場面で、へらへらにやにや笑ってしまうことである。

私はつい最近、とても怖い経験をした。ある朝、いつもより少し遅い時間に、通勤のために車を運転していた。ある歩行者が、私と同じ進行方向で左側の歩道を走っていた。今さっき着たばかりに見える白いシャツははだけ、肩掛けバッグを煩わしそうに抱えながら、走っていた。その男性は明らかに急いでおり、慌てている様子だったので、私は注視しながらスピードを緩めた。そして信号のない横断歩道に差し掛かり、彼は一度も左右確認せずにこちらに飛び出してきた。「渡りますよ」の意図を通わせる時間やアイコンタクトは皆無だった。ほとんど彼と並走していた私は、急ブレーキを踏んで停止した。あと一歩で轢くところだった。私が制限速度以下で走っていたから、私が歩行者を注視していたから、たまたま停止しただけのことに過ぎなかった。

このような場合、車を運転している私がすべてにおいて責められるべきことは承知している。もし轢いてしまっていたらどうなっていたか、どうすればこんなことが起こらなかったか、当事者である私が誰よりも考えている。しかるにこの投稿では、誰が悪い、何が原因だったとかは問題にはしない。当時の私が感じたことを、「ブログの読者に自分を知ってもらう」という名義のもとで振り返る。

急ブレーキで停止した直後、私の車を振り返った若い男性は、なんだかわからない言葉を怒鳴った。「あぶねえだろうが!」のような言葉に聞こえた。対する私は、まだよく知らない後輩に挨拶するようなふるまいで、右手を少し上げて、ニヤと笑うだけだった。

道を進むうちに、自分が轢きそうになった男性に対して、だんだんと怒りが湧いてきた。私に怒鳴ってきたが、急に飛び出してきたのはそっちじゃないか。車どおりが多い道なのだから、左右確認すべきじゃないか。こちらを一度も見なかったじゃないか。入社したばかりで事故を起こしてしまったら、あの上司が言っていた通りになってしまうじゃないか。怒鳴り声をあげるべきは、私なのではないか。一方の私はどんなふるまいをしたか?ああ。またいつものように笑ってしまったのか…。

運転を続けながら、そういうふるまいをする自分がとても嫌になった。このような自己嫌悪は、かつて何度も経験したことがあった。同時に、先ほどまで怒りを感じていた男性に、一種の尊敬の念を抱いた。遅刻しそうな状況で、家を飛び出して走っていたら、自分のすぐ近くで車が急ブレーキを踏んで、轢かれそうになって、怖かっただろうに、すぐに怒りをぶつけられる人。怒りや罵倒の言葉は、そんなに喉の近くにあるものだろうか。私にはクラクションを鳴らすという発想もなかった。

私も、言葉を推敲した後で、試しに「左右確認しろよ馬鹿!」と一人叫んでみた。自分が怒鳴っている声を初めて聞き、それが想像しているよりもずっと薄っぺらな音で、とても奇妙に感じた。私が大声で笑って冗談を言っているときの声と、たいして変わらなく聞こえたのである。

私は学生のときに演劇をやっていた。その時も、怒りの演技が一番苦手だったことを思い出した。眉間にしわが寄るような角度の眉毛をした自分を想像しながら、とにかく大きな声を出していた。私は、怒り方を知らないのだと思う。言い合いの喧嘩などしたことない。怒りを表現する方法として、不機嫌は得意である。しかし、不機嫌に即効性はない。世の中には、私のような人間もいるとは思うが、私はいざというときに主張できる人になりたいのである。だからこそ、今回のような経験をしたときに、瞬発的に叫ぶ人をうらやましいと思うし、それができない自分を惨めな人間に思うのである。

同じような経験はここにいくつも挙げられる。ロシアへの入国審査で、私は審査官からパスポートを返却されないままゲートを通された。私はゲートに戻り、パスポートを受け取っていませんよ、とヘラヘラ笑いながら言った。審査官は特有の厳しい顔で私を一瞥し、パスポートを投げてよこすだけだった。確かに、面白いことなんて一つもなかった。第一、私が言うべきは「おまえパスポートを返してないだろう」という指摘である。また研究室の教授にも、「ハハハじゃなくて」と言われたことがある。私はこうして、人間と人間とが向き合う場面で、ヘラヘラと歯を見せながら過ごしてきたのである。そうして後で、あの時はああ言えていればよかったのにと、勝手な想像をするのである。

あの時ああ言えていたら、なんなのだろうか。例えば先ほどの横断歩道で、彼が「あぶねえじゃねえか!」私が「左右確認しろよ馬鹿!」とやりあったところで、それで何かが解決するのだろうか。こうやってくよくよ自己嫌悪に浸ることなく、一瞬怒りを発散するだけであとはきれいさっぱり忘れられるのだろうか。それとも怒りは結構継続するのだろうか。わからないので、とにかくできるようになってみたい。

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