Refrain

友達に、「あなたは自分の発言を顧みて反省するところが面白い」というようなこと言われた。自分のことばかりで悩むのなんて、時間だけがある学生時代に終わらせておけよとも思うけど、今でもついやってしまう。

数年前、個別指導塾の塾講師をしていたとき。問題を解いている生徒の手元を見ながら、手を挙げて伸びをした。手にはホワイトボード用の黒いペンを持っていたので、白い天井に小さな黒い点を打ってしまった。私はやっちゃった!と生徒に報告しつつ「そういえばオノヨーコがこんな感じの作品を作っていたよね」と言っていた。言いながら自分やな奴だなと思った。

Ceiling Painting / Yoko Ono / 1966

脚立を登り、虫眼鏡をかざしてみると、小さな”YES”を見つけるという作品。

まず天井に黒い点を打ったことに対して反省してほしい。そしてミスで打ったただの点を作品に例えないでほしい。「日常の中に芸術性を見つける」的な発想をいきなり発揮しないでほしい。さらに生徒のほうはオノヨーコもジョンレノンも「知らない」と言っていたので、知識をひけらかすやな奴にもなっていた。

最近でいうと、隣に座る同僚のため息がいつもより多い日があった。帰り際声をかけようと思って放った第一声が「機嫌悪いの?」だよ。相手は「別に悪くないよ」と笑ってくれたからよかったけどさ、もう少し違うやり方があるじゃん。「疲れたね」とかさ。はあ~、本当にやめたい。

さらに最近。金沢にあるインテリアショップに行った。この椅子を見に行った。

実際に目で見て、座らせていただいた。こちらの椅子は、倉俣史郎デザイン・イシマル制作の椅子の雰囲気を醸し出していたし、お店もアーカイブで見るような椅子がたくさん置かれていたので、数十万円くらいの値段かな…手が届かないな…と思いながら値段を聞いてみた。「4万円です」と聞き、そんなに安いわけない!と驚いてすぐに「嘘ですよね?」と言ってしまった。店員さんにも少しショックな顔をさせてしまったし、もう一度確認していただいたけど、値段は間違っていなかった。結局すぐ購入させていただいてすごく嬉しかったけど、店員さんに失礼な態度をとってしまった。本当に後悔している。

ここで購入した椅子を自慢します。店員さんによると、日本で仕入れたけど、椅子のどこにも情報が刻まれていないため、誰が作ったものかわからない椅子らしい。私は、すごく倉俣史郎っぽい椅子だなと感じている。このスチールパイプの曲線と、無重力を感じさせる空間に浮いたようなファブリックの座面。あと、お店にはメッシュのローチェアも置いてあって、メッシュの作りが倉俣デザイン特有の継ぎ目のない構造だったので、それもそう思う理由の一つ。倉俣史郎がデザインしたものでなくても、例えば試作品であったりするかもしれない。そうだったらいいな。そう思いながら毎日この椅子を眺められることがとても幸せ。

倉俣史郎 ”Sofa with Arms” 近いものを感じる?
倉俣史郎 ”How High the Moon” / “Sing, Sing, Sing”

そうやって自分の言動を後悔ばかりして、自分はやな奴だと考え続けていたら、ある日、お昼に食堂でお盆に並べられた皿の上の食べ物たちを見て、「こんな人間のために死ぬなんて。私にはこの命たちを食べる権利なんかない」としばらく考え込んで、なかなかお箸に手がいかなかった。そのときは他にも悩みが重なっていた時期だけど、自分で追い込むのはよくないね。ほどほどにしよう。

Diary

Anthropology