実家に来た子犬は、私が見ないうちにすっかり大きくなっていた。犬は、ダックス・フントと言うには長すぎる脚を持て余すように、四方に投げ出して寝ている。若くつやつやと黒光りする脚の筋肉は、晴天に照らされた競走馬を思わせる。この犬は、裸で芝生を駆けることが大好きな犬だった。
人間が外出する時、子犬はケージにしまわれる。「自分でケージに入って、いい子だね」「お留守番よろしくね」などの理由で、おやつをもらうことになっている。私は身支度を整え、台所から適当なものを掴んで、ケージの中でうきうきと足踏みする子犬と、ケージの外で眠そうに顔を上げたオレンジ色の成犬の、それぞれの足元にそれを置いて家を出た。
まだ日が高いうちに帰宅すると、成犬は先ほどと変わらない場所で目を閉じていた。お気に入りのクッションに沈んで寝息を立てている。「静かだな」と思いケージのほうへ振り返ると、子犬は低い姿勢でこちらを睨んでいた。
ケージの扉を開けても、出てこようとしない。マズルを膨らませて低くうなりながら、白目をちらちらさせている。手元には、朝置いたままのおやつが見えた。白くて硬くて細長い、ミルク味のガムだった。
私はこの子犬が物を上手に食べられないことを思い出した。木片も、ヨーグルトのパッケージも、ビニル袋も、全身を駆使して立ち向かって噛み散らかすことが好きなこの犬は、いざ食べ物になると口に入れてもそのままの形で出す。クルミの味は好きらしいので、1cmほどの欠片を与えてみると、1mmずつ食べては出しを繰り返すうちに、2分は経つ。直径5cmの円形の薄いミルクガムは、咥えてどこかに持って行ったのを見たままで、きっと食べられていない。そのようにして忘れられたおかしを、成犬がいつの間にか発掘して食べる。
「可哀想に、ずっと食べたかったのに、大きくて食べられなかったんだね」
小さく切り分けてあげようと思って子犬のほうへ手を伸ばすと、子犬はさらに身体を震わせて不機嫌の信号を出した。これは絶対に渡さないし、これを守るためならケージも出ない、手を出すなら噛んでやるという意思が伝わってくる。食べられないミルクガムを咥え、喉を鳴らしている。手を噛まれることを覚悟しながら、私も黙って一緒にミルクガムを掴んでみる。引っ張らないままに、いいことあるからちょっと貸してみて、という意思が伝わるように。子犬はしばらくうなったまま固まっていたが、やがてお互い無言の時間が流れ、ついに子犬はガムを手放した。
ガムを切り分けようと台所に持っていく私の周りを、子犬は不安と期待で跳び回っている。ガムを4等分に切り分け、ケージの中へ置いてやると、子犬は夢中になって食べ始めた。私はクッションに寄り掛かり、今起きたばかりの成犬に挨拶をし、成犬のしているオムツの具合を確かめた。やがておやつを食べ終えた子犬が、クッションに座る私の顔に全身で抱き着いてきた。

お礼を言っていたんだと思う。
なぜ今こんなことを思い出すのか。子犬が自分のミルクガムをあきらめて手放した瞬間、私は「間違えた」と悟ったからだ。私は、私より弱い存在が主張する「嫌だ」という言葉を、聞こえていながら蔑ろにしたのである。私は、自分が圧倒的強者であることを忘れていたのである。
やめてと言ってもやめてくれない。これほど一人の人間として尊重されていないと思うことはない。おかしな話だが、私は以前交際していた男性と、一人暮らしの狭いアパートで過ごした日々を思い出す。勉強をしていても、料理を作っていても、背後に立たれ、身体を触られる。私がどう思うかなんて関係が無かった。私の部屋で、私の意志や主張は身体と切り離され、私の尊厳は奪われていく。ゴミになった気分だった。
子犬がその時一番大切にしているものをわざわざ取り上げるなんて卑怯じゃないか。また忘れた頃にこっそり割ってあげればいいじゃないか。そうしなければ、やがて「嫌だ」にも「嬉しい」にも心が揺れなくなり、訪れるのは無気力である。私はこの無気力をよく知っている。それを生む側になりたくはない。「あなたのためを思って」と言いながら自分の思う通りに愛するのではなくて、相手の意見を尊重するという愛し方があるはずだ。反省。
