雪が降ると嬉しい。雪は静かだから好きだ。雪が積もると、車の音も足音も雪の凹凸に吸収されて、町全体が消音される。どんなに曇っていても、白く反射するおかげで、晴れの日のように気持ちがいい。手袋や長靴に包まれた人間はみな不器用で愛おしく、樹木も一本一本、縄で丁寧に囲われ守られる。雪吊りというそうで、北陸に来て印象的だった光景の一つだ。


大学のとき所属していた研究室は、とにかく物が多かった。年末の大掃除でいくら本を捨てても、次の週には新しい本が共用の机に積み重ねられていた。卒業生が置いていった傘はプラスチックのゴミ箱(傘立て)に15本はあった。私の席の隣なので嫌だった。様々な種類のハンガーは誰も使っていないのにあちこちにぶら下がっていたし、冷蔵庫では誰かしらが持ってきた旬のフルーツ(これは良し)と陶器に入れられた焼酎と大量のワサビの小袋が一緒に冷やされていた。ホコリも多かったけど、掃除機をかけているのは自分以外に見たことがなかった。
教授は物を捨てない人で、教授の子供が使わなくなった電子ピアノを大学に持ってきて、「誰か持って行っていいよ」と本棚に立てかけた。私は教授に黙っていろいろなものを捨ててきたけど、そのピアノだけはゴミに見えなかった。ピアノは小さい頃習っていたし、実家に帰るたびに弾けるものを弾いていたから、またやりたい気持ちはあるけど、1人暮らしの家に買うまでではないかなと思っていたので、ゴミに見えなかった。
助教授の後ろの本棚に立てかけてあったので、「これ弾いてみてもいいですか」と声をかけた。と言っても人前で弾ける曲は持っていなかったので、電源を入れて、音を確かめてみた。懐かしい、ヤマハエレクトーンのように軽い。音を出していると、助教授が様子を見に来たので、席を変わった。何の曲かは忘れたけど、私が「いつか弾いてみたいんですよね」とその時思っていたクラッシックの曲をPCで調べて楽譜を出して、初見ですらすら弾いていた。電子ピアノでなく弦のある重いピアノだったらもっと素敵だったと思う。前からバンドをやったことがあるとは聞いていたけど、私はそのときからその助教授を見る目が変わったし、とても悔しかった。別の日に、購入したケースにその電子ピアノを入れて、こっそり持ち帰った。絶対弾けるようになってやる。
一瞬でもあんなに悔しい思いをしたのに、就職してからはピアノよりもやりたいことがたくさん出てきて、本当にごくまれにそのピアノを触るくらいになっていた。でも町や駅でストリートピアノを見かけるたびに、「自分の一曲を持っている人になりたい」という思いがまだ残っていることを確認していた。
最近は雪や雨が多くなってきて、気軽に外でランニングできない日が続いている。やりたいことの順位が繰り上がって、ついにピアノに本腰を入れ始めた。練習するうちに、私が弾きたい曲はこのピアノでは弾けないということに気が付いてきた。まず、低い音の鍵盤が足りない。ペダルも踏みたいし、もっと重い鍵盤がいい。イヤホンのコードが視界の真ん中にあって邪魔だ。
そこからはあっという間だった。ペダル付きの新しい電子ピアノを購入し、ワイヤレスヘッドホンも購入した。結果すごく楽しい。重い鍵盤を叩くだけで心地良いし、何時間でも弾いてしまう。何度も繰り返すうちに、指が思った通りに動くようになり、そのうち考えなくても動くようになる、その過程が楽しい。そしてピアノは、最悪ピアノがなくてもできる。会社のデスクでも、食堂の机でも、立っているときの腿の上でも、どこでも指を動かせるし、音は頭で鳴る。
ピアノを習っていた小学生の頃も、同じように机の上で指を動かしていた気がする。私はきっとしばらくこんな感じで生きていくのだろう。なってみたい自分、やってみたいことはまだまだ尽きない。
