久しぶりの満員電車は、居心地がいい。他人は自分が思っているよりも無関心で、寛容で、あったかい。
大宮駅から東武アーバンパークラインへ。私はスーツを着て大荷物を抱えながらも、久しぶりの電車と人混みになつかしさを感じ、穏やかな気持ちでいた。荷物に気を使いながら電車に乗る。一駅過ぎたところで、私の大きなスーツケースを見ていた女性が、こちらへどうぞ、と声をかけてくれた。「ありがとうございます、では失礼します。」私は女性の隣へ行き、満員電車の空間に収まった。
その後もしばらくは、隣同士で立って窓の外の景色を眺めていたが、なんとなく同じ空気を共有している感覚があった。この人は私になにか話したそうだなと感じていた。
ある駅で多くの人が降り、座席に余裕ができた。その女性と席を譲り合ったが、お互い同じ春日部駅で降りることがわかり、また思ったよりも席に余裕ができたので、「では、一緒に座りますか。」と並んで座った。私もその人も、自然な笑顔だった。
他者受容の話。
私の身なりを見た女性は、「今日は、研修の帰りですか?」と聞いてきた。
「いいえ、出張で北陸から来ているんです。今日は何かの帰りですか?」
「実は私、最近定年退職したんですけど、今までなかなか会えなかった友達と会って、ご飯を食べた帰りなんです。この1時間のために、往復2時間ですよ」
「それはいい日ですね~!久しぶりに会えたんですね。往復2時間は大変かもしれないけど、楽しいですね」
「そうなの。電車も全然疲れなくて、いろんな人に席を譲ってきたのよ。それで今帰るところなんだけど、春日部に娘が住んでいて、いままで別々で暮らしていたんだけど、私が定年退職するので『一緒に住まないか』って誘ってくれたんです」
「そうなんですか、それは嬉しいお誘いですね!いい娘さんだ」
「娘はすごく忙しくて、医療系の、救急の仕事なんです。でも一緒に住もうって言ってくれて」
「救急救命士ですか、優秀で自慢の娘さんなんですね、素敵です」、私は、もしかしたらこの人は、スーツを着た私を見て、自分の娘に似た部分を感じて、親しみを持ってくれたのかもしれないと思った。
話を聞きながら、私は大学時代のある日を思い出していた。ホームで電車を待っていると、男性に声をかけられ、一緒に電車に乗り、3駅くらい隣に座って世間話をしながら時間を過ごしたことがある。彫りの深い、立派な眉毛をした外国生まれの男性で、身振り手振り言葉を発するたびに、コーヒーの匂いがする人だった。勝手にブラジルの人かなと考えていた。私が娘に似ているから話しかけた、と言い、私と同じショートヘアの娘の写真を見せてくれた。
「定年退職してから、そのまま時間を過ごすのもな、と思って、介護の仕事を始めたんです。私は『時間に追われるより、時間を追っていたい』と考えていて、家で過ごしているよりは何か始めようと思って、それで先月研修を終えて、来月から初めての職場に勤めるんです」
「すごい。新しいことを始めて、第2の人生が始まるんですね。娘さんも誇らしいでしょうね」、初対面で研修の帰りか?と聞かれて不思議に思っていたけど、彼女自身が研修終わりで、重なる部分を感じたからなんだ、と納得した。
「そうなんです。でも娘は厳しくて、研修最後の試験で合格点ギリギリで。『お母さんなら満点じゃなくちゃ』って。」
「娘さんにとっても自慢のお母様で、期待が高いんですね。いい関係ですね」
「そうなの。それで実は私、この仕事を2年続けたら、国家資格を取ろうと思っているんです」
「すごい。実務経験を積んで、国家資格。いま本当に必要とされているお仕事ですもんね」
「もう今の日本では、5人に1人は60歳以上だそうで、私みたいな年齢の人が介護する側なのが当たり前の世の中なの。でも介護って、若い人が初めから目指す職業じゃないでしょう?汚いとか、大変とか、あまり良いイメージじゃないでしょう」
「はい。実は私も、力仕事とか、大変そうなお仕事だというイメージがあります」
「でもやってみると、本当に素敵な仕事なの。いろんな人がいるけど、みんな『生きたい』と思っていて、それぞれすごく頑張っていて、それを支えてあげたいって思えるようになるの。これは、教科書だけじゃわからないことで、実際にやってみてわかること。力も要らないし、人の支えになれるってすごく幸せなことだと思う。
私もいつか死ぬし、死ぬときは誰しも1人だから、やっぱり自分でいろいろできないといけない。私も支えてはあげられるけど、結局は『あなたが自分でできなきゃだめよ』と思う。娘も、救急のお仕事で、私に何かあっても駆けつけてあげられないから、『お母さん自分でなんとかしてね』って言われている。私もしっかりしなくちゃって思うの」
春日部駅に着く。「こちら隙間があるので気を付けてくださいね」と、スーツケースを持った私を介護して、その女性は去っていった。「ありがとうございます。良い日で」
過去のブログにもある通り、私はよく他人に話しかけられる。道も聞かれる。よく話しかけられる人って、どんな人だろうと思う。他者を受容するって何だろうと考える。そう思いながら知らない街で過ごしてみると、自分からも他人に話しかけていることに気づく。ジムの入室に一緒に並んだ女性は、ずっと住んでいる大宮の好きなところを教えてくれたし、エレベータで一緒になった超急いでいる人は、「この前もこれで間に合ったのでいけます」と笑ってくれた。意外とみんな人に話したいことを持っていて、私も楽しくて、壁がないことに気づくと、より居心地の良い世界になる。とても幸せなことだと思う。
