板チョコを砕いたもの、胡桃とカシューナッツ、小麦粉とアーモンドプードルを半分ずつで作るロッククッキーは、母がよく作る焼き菓子の中で、私が一番好きなものだった。手作りのバレンタインのお菓子で友達に褒められたのは、母と作ったロッククッキーだった。私が学生の頃には、実家に帰るたびに、50枚ほどのロッククッキーがタッパーに詰められ、冷蔵庫に用意されていた。コロナ禍で帰省できないときには、ジップロックに詰められた手作りの焼き菓子がダンボールで送られてきて、そこにロッククッキーもいて、すごく嬉しかった。
母は、食べたことのない異国の料理を作ってみたり、お店で食べた味を覚えて家で再現したり、アスパラガスをポタージュにしたりするような、料理が得意な人だ。そんな母も、必ずレシピを参照しながら作っていたのがこのロッククッキーだった。レシピは古い料理雑誌の1ページで、キッチンの引き出しに大切に保存されていた。母にとってバイブルのような存在なのだと、私は推察していた。
いつかの母が、実家で一緒に子育てをすることが夢だと言っていたことを思い出す。実家から遠い場所に就職することを決め、母とともに内見をした帰りの新幹線で、「私はその夢を叶えてあげられないかもしれない」と伝えた。私の人生の選択が、母の幸不幸を決定していることに後ろめたい気持ちがあった。母は、「そんなのいいんだよ」と笑っていた。このころ、私は母の人生の幸福について、自分に責任があると勘違いしていた。
社会人になった私は、電車もないような実家から離れて暮らし始め、自分の車でいろいろな場所に出かけるようになり、世界が拡がった感覚を得た。特に1人旅は、時間や場所に制限がなく、旅先で会う人たちとの会話が始まりやすいので、頻繁に計画するようになった。社会的自己を手放した状態で、初めての場所や作品や人と対面すると、他人と建設的な会話ができたときのように、清々しい気持ちになる。このような1人旅の魅力に気づき始めたのは、ごく最近のことだ。
瀬戸内にある直島は、私がどうしても行きたい場所の1つだった。母は、そこに連れて行ってほしいと言った。再び私は、母の幸福を私が企画しなければという責任を感じ始めた。別の場所をいくつか提案して渋い返事をもらい、億劫になり、突然SNSのつながりを切る、電話の頻度が減る、実家に帰っても1人で出かける、などの行動が目立つようになった。
そして私は、ロッククッキーのレシピを写真で送るように母に頼んだ。母のバイブルは、一枚の写真として私の携帯に保存された。食べたいときに自分で作るようになり、母に用意してもらう必要が無くなった。このときに初めて、アーモンドプードルを入れる工程は母のオリジナルなのだと知った。
母は、私が何を考えているのかがわからないため、LINEでも電話でも面白くない空気を出していた。一方の私も、母と出かけることの何がそんなに億劫なのか言語化できていなかった。私は段々と、1人旅の良さや1人で行きたい自分の気持ちを認識し始めた。「直島には1人で行きたい。嫌いになったわけではなく、私とは別の、母の人生で幸せでいてほしい」と伝えた。「ちゃんと話してくれてよかった。言われなかったら気づかなかった」と言ってくれた。あとから知った話では、母は母で葛藤があり、子離れについて父と大喧嘩したとだけこぼしていた。
今では実家に帰っても、母は自分の予定で週末が埋まっており、別々に過ごすことが多い。母は遠いところで忙しい日々を送っている。先日直島を1人で訪ねた私は、「一緒に来るならこんな旅程がいいだろう」と、母を想う自分を認識していた。今は、「壁に飾りたい」と母に頼まれている大きな犬の絵を描いている。その代わりに、ロッククッキーを作ってほしいと頼んでみようと思う。
